5回目のゲストは、東レ株式会社の専務取締役・技術センター所長(CTO)を務める阿部晃一氏。
革新的な技術で新素材の開発を行う同社のR&Dマネジメントについて、また炭素繊維や逆浸透膜の開発ストーリー。
そして、新たな技術を創り出す研究者への期待など、東レの研究・技術開発戦略について、教えていただきました。
諏訪日本経済を取り巻く環境として、2011年、12年と貿易赤字が拡大し、日本の製造業やモノづくりに対する懸念の言葉をよく耳にしますが、阿部さんはどのようにお考えですか?
阿部日本には資源がありませんから、輸入に頼らないといけません。その分、製造業が製品を輸出して外貨を稼ぐというスタイルは、日本を一つの企業と見た経営スキームとして、今後も変わらないと考えています。その点ではやはり、日本は貿易立国であり、製造業立国である。これを支えるのが「科学技術」だと思っています。
諏訪第二次大戦後の成長を支えた日本の経営スキームですね。
阿部そう。なかでも日本の組立産業は、これまで「すり合わせ」で強みを築いてきた部分がありましたが、デジタル化が進み、価格の安い部品を世界中から集めることで、比較的簡単に製品を作れるようになってしまいました。そのため最近では、新興国の追撃を受けてかなり苦戦しています。
東レのような素材産業は、組立産業とはネイチャーが異なりますが、新興国に追いつかれないためには、やはり2歩先、3歩先の新しい材料を開発し、新しい産業を創出していくことが重要になります。
諏訪新しい産業を生み出すポイントは何でしょう。
阿部新しい産業と聞くと、すぐにベンチャーが話題となり、シリコンバレーはうまくいっているという話になります。しかし、シリコンバレーの真似をしてもうまくいかないことは、すでに歴史が物語っています。
諏訪日本でも、国が旗を振っていた頃は一時的に盛り上がりましたが、最近では投資額も減り、今後、自律的に広がっていく見込みは持てませんよね。
阿部ですから、シリコンバレーとは違う、「日本流のフロンティア開拓」を明確な国家観、大きな時代観を踏まえて産業界全体で引っ張っていく必要があると思っています。
次世代の産業を牽引する新素材の開発
「極限追求」「超継続」とは
諏訪では、東レの目指す「日本流のフロンティア開拓」とは何でしょう?
阿部東レでは、「既存産業の中にもフロンティアがある」と考えています。これは私の造語ですが、「内なるフロンティア」を開拓していくと、次の新しい何かが見えてくるという意味です。フロンティアというとボーダーラインから外に出ていくイメージがありますが、「深は新なり」という高浜虚子の言葉にあるように、一つのことを深く掘り下げることで、新しい発明や発見が見えてくる。この考え方こそ、東レが時代を超えて大切にしてきた研究・技術開発のDNAです。
諏訪「深は新なり」という言葉は、東レの研究者の間に広く浸透しているのですね。
阿部ええ。東レでは1962年に基礎研究所を創設したのですが、社外から招聘した初代所長の 星野敏雄博士がこの言葉を使って以来、今でもずっと語り継がれています。
諏訪50年以上も前に唱えられた言葉が、今の時代の研究・技術開発に当てはまるものですか?
阿部特に我々のような基礎化学素材のメーカーにとっては、非常に重要な考え方だと思っています。なぜなら、「深は新なり」とは、言い換えれば「極限追求」です。ナノテクノロジーも、極限追求をして新しい産業が生まれた一つの例ですよね。材料というのは、組み立てた最終製品と比べて、売上高も小さくニッチに見られがちです。しかし、産業の歴史を振り返ると、その時代においては産業の中心ではなかったかもしれませんが、「次の時代の産業を担う存在」であったことは間違いありません。
諏訪確かに、歴史的に見ても、新しい材料の発見がある度に、産業は大きな進化を遂げていますよね。
阿部そう。歴史的に見ても、半導体が発明されトランジスタやLSI(集積回路)ができたからこそ、電子情報産業やIT産業が生まれました。合成ポリマーが発明され、合成繊維産業やプラスチック産業が生まれました。
ですから、時間はかかりますが「次の時代を牽引する材料を創る」ことこそが、材料メーカーである東レの使命だと思っています。
諏訪次世代の産業が誕生するそばには、常に新素材がある…。
阿部そう。そのひとつの例が、炭素繊維です。1961年に大阪工業試験所の進藤博士がPAN系カーボンファイバーの研究成果を発表された直後から、東レでは本格的な研究を開始しました。
当然、我々も問題意識を持って独自に研究していましたから、カーボンファイバーの研究成果に関する大阪工業試験所の発表を受け、「この方法が有望である」と技術の本質を見抜き、大阪工業試験所の特許実施許諾を取得したわけですが、これこそまさに、今でいう「オープン・イノベーション」の先駆けです。しかし、世界で初めての商業生産開始は、本格的な研究開始から10年後の1971年であり、その間当然リターンはありませんでした。商業生産開始後もしばらくは苦戦を強いられましたが、90年には、ボーイング社の777(トリプルセブン)で初めて、飛行機が空を飛ぶための力を受け持つ一次構造材、この場合は尾翼や主翼の一部などでしたが、カーボンファイバーが採用されたのです。
諏訪一次構造材に採用されたということは、欠陥が少なくなって信頼性が増した、ということですか?
阿部そう。カーボンファイバー開発の歴史は、まさに異物や空隙などの欠陥との戦いでもありました。商業生産を開始した当初はミクロサイズの欠陥があり、強度も不十分でしたから。この課題解決のために、有機合成化学、高分子化学、ナノテクノロジー、界面化学などに基づいた基礎研究を地道に継続したからこそ、現在の高強度かつ高信頼性で、また使いやすいカーボンファイバーの開発に繋がったわけです。
諏訪開発当初と比較すると、現在では強度が大幅に向上していますよね。
阿部ええ。今ではナノサイズの欠陥すらもなくし、強度を3倍にまで向上させ、航空機の一次構造材として安心して使える、高性能な炭素繊維へと進化させました。
諏訪そのような進化があったからこそ、新しい航空機産業が生まれようとしているのですね。
阿部その通りです。そして、2011年に初就航した最新鋭機、ボーイング787型機では、エンジンなどの改良もありましたが、構造材料の約半分が炭素繊維複合材料になったことで軽量化が進み、ANAの実績ベースで約2割の燃費低減を実現させました。他にも、カーボンファイバーを使った材料が採用されたことで、金属疲労が無いので機内の気圧を上げられたり(上昇時に耳がキーンとなるのが防げる)、さびに強い機体となったことから快適な湿度を維持することもできたのです。
諏訪私も実際に787型機に乗りましたが、非常に快適でした。カーボンファイバーが飛行機にもたらした功績はとても大きなものですね。
阿部まさにこれが「深は新なり」という、東レが目指す「極限追求」の好例です。
大きな目標に立ち向かう勇気が
他社の追随を許さない偉大な力に
諏訪カーボンファイバーに関しては、当時から他社も開発に力を入れていたのですか?
阿部もちろん、世界の名だたるケミカルカンパニーが、こぞって研究・技術開発を進めていました。しかし結局は研究・技術開発の重みに堪え兼ねて、次々と手を退いていきました。
そうした背景も後押しし、「レギュラートウ」という、飛行機で使える非常に高性能なカーボンファイバーの世界市場の半分のシェアを、東レが占める結果になりました。
諏訪カーボンファイバーの研究・技術開発には、50年以上を費やした実績がありますから、今さら他の企業が参入するのは難しいですよね。
阿部そう自負しております。継続的な基礎研究に裏付けられたカーボンファイバーの原料処方、製造プロセスも大きな参入障壁ですが、それ以外にも他社の参入を拒む技術があります。例えば、航空機用の材料は、ボーイング社などから多岐にわたる物性の要求があり、当社はハードルの高い要求にタイムリーに応えてきました。まさに航空機メーカーとのオープン・イノベーションです。航空機用材料は、当然ですが、多くの試験を繰り返すため認定に非常に時間がかかりますが、我々は粘り強く対応してきました。今、これが大きな参入障壁になっています。
諏訪他社が研究・技術開発を取りやめていく中、御社ではなぜこんなにも長く研究・技術開発を続けてこられたのですか?
阿部まず、「素材の価値を見抜く力」が我々の先輩にあったからです。現在の私たちに言えるのは、研究・技術開発のマネジメントは、「素材の価値を見抜く力」を常に養っておかなければならないということです。
諏訪なるほど。しかし、材料はどんなにスペックが高くても、用途がなければそこに価値は見出せないですよね。炭素繊維の研究・技術開発においては、早い段階から航空機での使用を視野に入れていたのですか?
阿部当時の研究者、研究管理者、経営者の間では、研究当初から「さびない」「軽い」「強い」素材だということで、航空機での使用をビジョンに掲げていました。
ただ、本丸は航空機だと最初から意識はしていましたが、その時点ではまだ航空機の市場自体は存在していなかった。そこで、その途中で息継ぎ(中継ぎ)をするために、例えば釣り竿やゴルフクラブ、テニスのラケットなどへ用途を広げていきました。本丸を目指したまさに壮大な先行投資であったわけです。
諏訪早めに出口が見えそうな用途で先に実用化したということですね。
阿部そう。異なる用途で「事業を作り」ながら、虎視眈々と本丸の航空機を狙っていました。実は、カーボンファイバーだけでなく、水処理用逆浸透膜の研究・技術開発においても、全く同じ様な歴史を辿っています。1961年にジョン・F・ケネディ大統領が、「月に人を送り、無事に生還させる」というアポロ計画について演説したのですが、その前年に当時上院議員だったケネディ氏が安全保障の観点から「海水から真水を作る」重要性も説いていたのです。
諏訪それをきっかけに、逆浸透膜の研究を開始したのですか?
阿部この演説を聞いたからではありませんが、時を同じくした1968年に、逆浸透膜の研究をスタートさせました。逆浸透膜の事業も12年も後の80年にやっと本格生産を開始しています。現在、様々な国のプラントで、我が社の逆浸透膜モジュールがインストールされており、1日あたり約2600万トン、1億人以上の生活用水を生み出しています。今後さらに、市場規模は拡大すると考えています。
ただ、逆浸透膜においても、本丸は「海水を真水にする」ことだったのですが、当時はまだ市場が明確ではなかった。そこで、中継ぎとして、半導体を洗浄する際に必要な、極めてピュアな水を作るという用途で、事業化をスタートさせたわけです。このような研究・技術開発の進め方は今も変わっていません。
諏訪炭素繊維も逆浸透膜も、本丸とも言うべき大きな目標を立てておいて、その途中に中継ぎとなる事業を見つけることが、東レの研究・技術開発の考え方に埋め込まれているのですね。しかし、そんな先の将来の目標はどうやって設定するのでしょうか?
阿部振り返ってみますと、炭素繊維の研究を始めた頃も飛行機は飛んでいたわけで、その数が何倍になるかという定量的な話はできなくても、いずれ世界を飛行機で飛び回る時代がやって来るという、大きな時代観はあったと思うのです。
諏訪確かに、飛んでいる飛行機の数は当時と全く違いますが、ある意味、今のような状況は想像の範囲内だったかもしれませんね。
阿部それに、当時からすると今後人口がどんどん増え、将来、水が足りなくなるという危機感も、ある程度予測はできたと思います。考えるべきは、これくらいの未来観です。
諏訪大きな未来観で考えて動く、ということですね。
お尋ねしたいのですが、60年代は半導体が登場したばかりで、炭素繊維も欠陥だらけでしたが、現在ではナノスケールでもほとんど欠陥が見当たらないほど、ハイレベルに進化していますよね。技術の成熟度が高まり、ニュートン物理学からジェット機が誕生し、量子物理学から半導体が生まれ、フロンティアは分子生物学くらいしか残ってない、という悲観的な見方をする人もいます。それでもまだ、東レでは「極限追求」することで新しい市場を生み出す余地があるとお考えですか?
阿部もちろん、まだ十分あると思っています。炭素繊維を例に挙げると、研究開始時から強度は増しましたが、それでも理論強度のまだ10分の1以下です。
諏訪まだそんなに強化する余地があるのですね。確かに、さらに10分の1の軽量化が可能になれば、まだ新たな市場も生まれそうですね。必ずしもバイオの領域に移行しなくても、従来通りのケミストリーの分野で、十分な「極限追求」ができそうです。
阿部バイオはバイオで将来、極めて重要だと思いますが、化学においても中長期視点での研究が重要であると考えています。すぐに商品化できるものだけに研究・技術開発やそのための投資を行っていると、今はよくても後々困ってしまいます。
諏訪短期的には良くても、将来ネタが枯れてしまうということですか?
阿部そう。そうならないためにも、現在推進しているテーマの次のテーマ、その次の次のテーマを常に仕込んでいく必要があります。我々はこれを「パイプラインマネジメント」と呼んでいますが、筋の良いテーマを次々に仕込むことが研究には不可欠なのです。
諏訪そのためには、相当な時間が必要ですね。
阿部そういうことです。材料研究には長い時間を要しますが、実はそのことが新興国に対しても、ひとつの参入障壁になっていますし、日本人の気質も大いに活かせる分野だと思います。
諏訪確かに新興国は、目の前に成長市場があるのに、その先の市場を期待して長期的に投資できるかを考えると、やはり難しいように思えます。
阿部その通りです。最近、「長期的研究を行う企業が減り、短期間で成果を求める企業が増えてきた」という調査結果が発表されましたが、東レにおいては全くそうではありません。これは、我々の先輩が培った風土が今も根付いているからで、東レの研究・技術開発のキーワードにある、「極限追求」「超継続」の賜物でもあるのです。材料の研究には時間がかかりますから、「超継続」こそが、次の革新を呼ぶと、強く信じています。
諏訪ということは、そうした時代の流れには、左右されていないということですね。
阿部ええ。研究・技術開発の基本的な考え方は、あまり変化していません。これは、日本という国家の経営にも共通していて、まずは外貨が稼げるような世界的に競争力のある付加価値材料、我々はこれを先端材料と呼んでいますが、この先端材料を輸出し、コモディティー化したらグローバルにオペレーションをして、また海外で稼ぐ。これらで上がった利益を日本での研究・技術開発に還元し、次の先端材料を創出する。この繰り返しこそが、持続的な成長を可能にするからです。
技術の躍進を支える
知的財産のブラックボックス化
諏訪では、他を寄せ付けない、東レの研究・技術開発戦略について詳しく教えてください。
阿部とにかく特許を出すことが他社との差別化につながると思われがちですが、我々は「戦略をしっかりと立て、特許を出すところは出し、ノウハウなどは徹底的に技術を隠して、ブラックボックス化する」ことが、まさに新興国に対する参入障壁になると考えています。
諏訪御社はナノテク等の分野で相当数の特許を取得されていますが、割合的にはそれ以外にも相当数、隠している技術があるということですか?
阿部そういうことになりますね。特に、製造方法などは特許に出すよりも、むしろ隠しておくことのほうが多いです。いきなり海外で生産は行わず、最初に、マザー工場と呼ばれる国内工場で生産し、輸出しています。
諏訪しっかりとした生産技術を確立するためですか?
阿部まさにその通りです。作り始めた頃は収率などが低く、様々なトラブルが起こります。ところが、そうした課題を改善する課程にノウハウの塊があるのです。そのようなノウハウで隠せるものはしっかり隠して、ブラックボックスにしています。優れた生産技術がなければR&Dの成果から利益を生めないのです。
諏訪確かに、製造技術というのは真似されても、他企業の工場内の真似した部分を特定して追求することは難しいですから、「ブラックボックス化」が向いていますね。
阿部その通りです。基礎研究は日本で行い、応用研究や商品化研究は現地のニーズに即して行うというのが、東レの基本的な考え方です。
「オープン・イノベーション」を実現させる
東レの「垂直連携」
諏訪基礎研究についてのお話がでましたが、約50年前に自社でも研究されていたのにもかかわらず、大阪工業試験所の特許実施許諾を取得されたということですが、その頃からすでに、御社ではオープン・イノベーションを行う風土があったのですか?
阿部その当時から、企業のDNAとして根付いていたと思います。ところが、10年ほど前、ややもすると、「全部自前でやろう」いう風潮になっていることに気付きました。そこで、2002年頃からは、かなり意識的に「自前主義からの脱却」という旗印の下、研究改革を進め、再び外部組織との連携を強めていくようになりました。
諏訪どのように強化しているのですか?
阿部有力企業やベンチャー企業などとの連携もそうですが、大学・公的研究機関といった産官学連携、国家プロジェクトへの参画なども、かなり意識的に増やしてきました。
諏訪それは、なぜでしょうか?
阿部やはり、一つの企業、一つの大学、もっと言えば一つの国だけで大きな仕事ができる時代は終わり、まさに融合の時代と考えたからです。しかし最近では、産官学といっても、1対1の連携だけでなく、例えば理研(理化学研究所)や産総研(産業技術総合研究所)などをハブに、もっとコンソーシアム的な連携研究を強めていくことが、日本の国力を強くするためには必要だと思っています。
諏訪より大きなスケールで行えば、国レベルで競争力を高める研究ができると。さすが、御社らしいグローバルなお考えですね。しかし、口で言うのは簡単ですが、そうしたコンソーシアムにも難しさはあるように思いますが?
阿部こうしたプロジェクトを成功させる鍵は、企業を「垂直連携」で入れることです。東レのような材料メーカーが入っているのに、他にも似た材料メーカーが入っていると、お互い実力を出さず、どちらでもいいようなことしかやらなくなってしまいます。
複数の材料メーカーが同時に入って、コンソーシアムをうまく組んでいくには、例えば、半導体などの露光装置など、企業一社だけではなかなか買えないような、高額の評価機器を使って行うプロジェクトの場合に限定されます。
諏訪コストシェアの領域ということですね。
阿部そう。すでにブラックボックス化した材料を持ってきて、そこで評価するのであれば、ノウハウが外部に漏れないのでいいわけです。しかし、国力を上げるような大規模な成果を上げようと考えるのなら、やはり「垂直連携」が重要だと思います。
諏訪大きな成果を上げようとするなら、「垂直連携」の各プレーヤーはそれぞれの分野でトップの企業であることがいいのでは、と思うのですが…。
阿部それは、不可欠でしょうね。
諏訪そうだとすると、その選び方が難しいですよね。例えば材料の分野だと、御社がトップの場合や、ライバルがトップの領域もあるでしょうし、世界的に見て必ずしも日本企業がトップとは限らない領域もありますから。コンソーシアムの場所が日本であれば、海外企業も参加してよいのか、それともオール日本企業のコンソーシアムのほうがよいのか、そこはどちらでしょうか?
阿部そこは、ケース・バイ・ケースだと思っています。私どもが考えているのはやはり「材料」ですから、日本メーカーがリードしていることが少なくありません。しかし、そうともいえない領域があれば、海外からどんどん参画してもらえばいいと思っています。
大きなビジョンを描く鍵は
自由な研究を育む環境と開発を支える企業風土
諏訪しかし、いくら「垂直連携」したとしても、プロジェクトを成功に導くためには、研究者ひとり一人の力が重要ですよね。
阿部もちろん良い研究ができるかどうかは研究者次第ですから、彼らをいかに活性化させるかが我々、R&Dマネージメントの重要な使命だと考え、色々な施策を行っています。
諏訪そこは読者にとっても興味深い分野ですから、詳しく教えてください。
阿部例えば、勤務時間の2割程度は上司への報告を必要としない、自由裁量の研究をやってもよろしい、ということにしています。
諏訪2割というと、週に換算すると約1日ですから、かなりの時間になりますね。それは勤務時間外に行う研究ですか?
阿部勤務時間内です。我々はそれを「アングラ研究」と呼んでいますが、アングラといっても勤務時間外での研究ではなく、あくまで勤務時間内での自由研究という位置付けです。もちろん義務ではないし、全員がやっているわけではありません。それと、研究者の評価は加点主義です。研究というのは失敗がつきものですから、その都度減点していたのでは、チャレンジングな優れた研究は生まれませんからね。
諏訪減点主義だと、できることしかやらなくなってしまいがちですよね。
阿部そう。使命感をもってチャレンジしてほしいので、加点主義を採用しています。研究者にとって、会社から評価されることや見守られているという実感はモチベーションの向上につながります。そのため、社長や役員への発表の場を与えたり、事業化はまだ先でも優秀な研究成果には「社長賞」などを授与したり、一人ではできない大型プロジェクトの企画を行う仕組みを用意したりしています。
他にも、知財部や国内外への派遣による研修、要素技術連絡会という14の社内学会での活動、任期制採用によるアカデミアや海外研究者の招聘など、様々な人事施策を推進しています。
諏訪処遇に関わる施策もありますか?
阿部ええ。研究・技術専門職制度がまさにそうです。部長や所長だけが偉いのではなく、研究者がしっかり仕事をして研究専門職としての昇格審査をパスすれば、処遇が良くなるという制度です。研究者の鑑となるような研究者には「リサーチフェロー」の称号を与え、さらにはその上の「理事」という取締役と同等もしくはそれに準ずる成果・貢献を期待される職位も用意しています。研究者には「Two Ladder」、つまり2通りのキャリアパスを用意することで、研究に専念できる風土を作っているというわけです。
諏訪理事はそういう位置づけに当たるのですね。
阿部ええ。ゼネラリストだけではなく、専門家が育つ風土を醸成しておかないと、R&Dでは勝負できないと考えてのことです。それと、異分野・異文化が融合しやすいような組織にしておくことも重要だと考えています。東レは「事業本部制」ではなく、モノを研究する人、開発する人、作る人、売る人それぞれが機能で分かれる「機能本部制」を採用していますが、研究本部や開発センター・工場の技術部・エンジニアリング部門の研究・技術開発機能は「技術センター」という東レグループのR&Dを統括する一つの組織に集約させています。
諏訪その点は、御社のホームページにも詳しく書かれていますね。研究・技術者が一つの所にまとまっているからこそ、それぞれの専門家がインタラクションできると。
阿部ええ。私は、脳の解説書を読むのが大好きなのですが、脳の前頭葉には思考を司る役割があり、側頭葉には記憶を司る役割があります。この前頭葉と側頭葉のやり取りが「思い出す」という回路の走り方なのですが、実はこれが「ひらめく」という回路の動きと非常に似ていて、側頭葉に色々な知識や経験が入っていないと、ひらめきは生まれないそうです。
諏訪つまり脳の仕組みと同じ仕組みを担うのが東レの「技術センター」であると?
阿部そう。その意味では、技術センターには、様々な知識や経験を持った専門家が集まっているので、「ひらめき」が生まれやすいと考えています。
諏訪なるほど! 脳科学的にも研究者・技術者が活性化されているのですね。
阿部また、色々な専門家が一か所に集まるという点では、多くの分野を理解した素質のあるプロデューサーが育つ環境にあり、一つの材料を様々な事業に展開する上でも効果的なのです。これこそが、研究・技術開発組織を分断しない、大きな理由です。
諏訪研究・技術開発機能を分断していないことによる融合研究の例はどんなものがありますか。
阿部数多くあります。最近の例では、まだパイロットスケールですが、当社の水処理膜とバイオ技術を融合させた膜利用バイオプロセスがあります。非食糧から糖、そして、バイオケミカルズをきわめて効率的に製造できるものです。
色々な技術分野の融合もそうですが、基礎研究(本社研究:CR)と事業研究(DR)の融合も、東レの研究・技術開発の特徴の一つです。会社によっては、基礎研究と事業研究は別の研究所で行っていたり、別の部門長を置いていたりしていますが、東レは違います。
ひとつの研究所の中で、基礎研究と事業研究の両方をやっています。また、それらのマネジメントは一人の所長が行います。それによって、基礎研究と事業研究を同時に見ることができるので、その重なり、その融合から新たな発想や考えが生まれることを期待しているからです。
諏訪御社で活躍する研究者に共通する点はありますか?
阿部広い基礎科学力に裏付けられた専門性を持っているということでしょうか。深く狭い専門性も重要なのですが、やはり…、
諏訪先ほどお話をされた「ひらめき」の原理に似ているということですか?
阿部そう。そういう意味で基礎科学力の高い人の方が、意外性のある発明や発見をする傾向にあるようです。それから、単一の技術だけでは大型新製品の創出が難しくなりつつあるので、技術の理解度に多少の差があっても、複数の専門性を持っていることも重要です。
また、大学での専門分野と、企業での研究内容が完全に一致している人ももちろん一定割合ではいるのですが、逆に一致してない人のほうが多いので、未知の分野にアプローチするときの「つぼ」とでもいうのでしょうか、そのコツを大学や大学院で学んで心得ている人は伸びますね。
諏訪企業の事業は当然変化しますし、常に一つの専門とマッチし続けるというのは難しいですから、幅広い知識を持ち、新たな分野にも臆することなく取り組める方のほうが、活躍の場は増えるでしょうね。
阿部そうです。そして、自分の取り組むテーマが世界のどこにいるのかをイメージできる、全体観や視野の広さを備えた人も、東レにとっては欠かせない戦力です。
そして、「Chance Favors the Prepared Mind」というルイ・パスツール博士の言葉にもあるように、常に問題意識を持って研究に取り組めるかも重要な要素です。そうでないと発明が起こっても・・・
諏訪気付けない?
阿部そう。ただ通り過ぎてしまいますから。ですから、次の世代を担う研究者には、「変化を見る目」「本質を見抜く力」に加えて、問題意識や課題を持って主体的に研究を取り組む上での「リーダーシップ」「先見性」「提案力」などにも期待しています。
諏訪東レの研究者がモチベーションをここまで維持できている秘訣は何でしょうか?
阿部2011年に、京都大学の山中先生が東レの「先端材料シンポジウム」で講演してくださった際、「Vision & Work Hard」というご自身の研究哲学を冒頭でご説明されました。
「人の失われた組織を復活したいというビジョンを持ってずっとやってきて、まだまだ道半ばですけど…」とご本人は仰っていましたが、東レのR&D哲学に非常に近いと感じました。モチベーションを維持し続けるための理由の一つは、大きなビジョンを持っていることだからです。
諏訪だからこそ、ワークハードできる?
阿部そう。そしてもう一つは、研究者が正しく評価されること。事業としての成果が出てから表彰していたのでは、タイムラグが生じてしまいますからね。
先ほど申し上げたような社長賞は、事業化になる前でも、研究レベルが高ければ積極的に賞を授与していますから、会社が自分のテーマを気にかけ、評価してくれている、と感じられることは、研究者にとって、モチベーションの向上につながりますよね。
諏訪大きなビジョンと評価される環境が、研究者のモチベーションを維持する上で大切なんですね。
阿部そして最後は、景気が悪くなったからと言ってR&Dを縮小したりしないこと。R&Dはコストではなく先行投資ですから、その先行投資を続けないと、「先端的な材料を開発して外貨を稼ぐ」という国家としての経営スキームが成り立ちません。我々がそこを支えていかないと、日本が沈んでしまうという強い危機感もある…。
だからこそ、東レはこれからも将来への投資を続けていきます。
諏訪なるほど。御社の「極限追求」「超継続」から生まれる革新材料の数々は、日本として、そして日本企業としての経営ビジョンと、それを支える人材活性化への仕組みがあってこそ成り立っているということが、よく理解できました。
非常にインスパイリングなお話、ありがとうございました。
阿部こちらこそ、ありがとうございました。
諏訪本日は貴重なお話を、ありがとうございました。
PROFILE: 阿部 晃一(あべ こういち)
1977年3月 大阪大学大学院 基礎工学研究科 修了
1977年4月 東レ株式会社 入社
1999年4月 フィルム研究所長
2004年6月 愛知工場長
2005年6月 取締役 研究本部長
2009年6月 常務取締役 水処理・環境事業本部長
2011年6月 専務取締役 技術センター所長(CTO)
2013年6月 代表取締役専務取締役 技術センター所長(CTO)