90年代以降の環境変化を捉え
未来を切り拓くための舵を取る
諏訪ここ数年、インドや中国などの新興国の追い上げ、産業構造や経済状況の変化など、御社の研究開発を取り巻く環境が大きく変動しているように感じます。こうした動きを中尾さんはどのように捉えられていらっしゃいますか?
中尾まず、1990年までとそれ以降で、R&Dを取り巻く環境は大きく変化しています。90年はバブルのピークでしたが、それまでは、当時の日本でも今の中国のような経済成長が戦後から続いておりました。
諏訪成長がさらに続くという前提で、研究開発が行われていたわけですね。
中尾そうです。ところが90年を境に、日本のGDPがほとんど成長しなくなりました。私ども旭化成も同様で、売り上げの推移をみると90年を境に鈍化しています。これは多くの化学メーカーさんや他の業種の日本企業も、同じような傾向にあると思います。
もちろん、旭化成としてもいろいろな施策を行い、この数年、GDP以上の成長を実現してはいるのですが…。
諏訪成長率をプラスに転換することは、どの企業の課題でもありますね。
中尾ええ。一方、90年以降、世界全体の経済規模は新興国の成長により2倍から3倍の勢いで成長しています。これは競争の視点でみると、新興国の企業を中心にその規模だけ競合が増えて、競争が激化していることを意味しているのです。
諏訪市場が拡大しライバルの化学メーカーが育ってきたということですか?
中尾そうです。そして、事業活動を通して得られる技術情報の視点からも、90年代を境に大きな変化が起きています。
諏訪それは、どういうことでしょうか?
中尾90年代までは、日本から世界の技術を展望できているとの実感がありました。
諏訪それは御社のお客様である日本の電機メーカーなどが、世界の技術を牽引していたからですか?
中尾それが大きな要因の一つと考えています。90年代以前は、ある意味で技術を牽引していた、例えば日本の電機メーカーに対し、世界中の企業から売り込みが盛んに行われ日本の企業を通じて、ワールドワイドの技術を知ることができたのです。
諏訪日本のメーカーから、「おたくはこうだけど、ライバルはこう言ってますよ」といった、あらゆる情報が入ってきたわけですね。
中尾そう。ところが、特にデジタル家電などのコンシューマーエレクトロニクス領域では韓国メーカーが急速に成長し、、さらに新興国企業が伸びてきた。今、ある意味で世界トップレベルの技術は日本ではなく、韓国メーカーや新興国企業に集まっているといえます。そのことを、もっと我々は認識しなければなりません。
諏訪技術のベンチマークをする情報源が、90年代を境に変わってきたのですね。
中尾そうです。そうなると、研究開発のやり方も、90年代以前と同じ様にやっていては、今以上の成長はないわけです。つまり、これまでとは異なる独自のやり方なり成長戦略を描いていかなければ、状況はますます厳しくなると思っています。
諏訪では、旭化成としては、どのような方法でこの状況を乗り越えようとお考えですか?
中尾取るべき行動は3つあると思っています。まずは、皆が狙う流行ものではなく、「自ら新たな市場を開拓する」こと。やはり、これだけ競争が厳しくなってくると、他社と同じ道ではなく、ある程度のリスクを取っても自ら切り開く気概がないといけません。次に、「新興国を含めた世界的に激化した競争に勝つためには、自社の強みや特長を活かした独自の戦略・視点を持つ」こと。そして最後は、「1つの狙いでうまくいかなくても、その技術を中心に新たな領域へ展開し、広がるような研究開発戦略を練る」ことです。
諏訪これら3つの行動を具体化するために、御社ではどのようなことをなさっているのですか?
中尾旭化成では、2003年に持株会社制を導入し、現在は9つの事業会社からなる体制になっています。持株会社制によって事業会社ごとの自主自立経営が定着し、収益の点からは大きなメリットがありました。しかし、各事業会社が個別に研究開発を行っていたため、グループの総合力を活かして、新しい事業を創出するという点からは課題がありました。そこで、2011年からの中期経営計画For Tomorrow 2015では、グループの目指す方向を「環境・エネルギー」「住・くらし」「医療」の3つの領域に揃え、新しい社会価値を生む新事業を創出するための新プロジェクト、「これからプロジェクト」を立ち上げました。
諏訪それらの新プロジェクトは、御社の持っている事業ポートフォリオを考慮してのことですか?
中尾そうです。私どもの事業ポートフォリオの強みを最大限に発揮するためのものです。例えば、1つ目の「環境・エネルギー」領域には、蓄電池関連、創エネ関連材料や省エネ部品などの事業があるのですが、「旭化成ケミカルズ」「旭化成イーマテリアルズ」「旭化成エレクトロニクス」「旭化成せんい」等の各事業会社から関連する技術を技術者とともに持株に融合し、そこに必要な、外部の新しい技術を取り込みながら、新しい事業を作っていこうとしています。
2つ目の「住・くらし」の領域では、「旭化成ホームズ」というプラットフォームを活用し、住まいに関わる新しい価値の創出に取り組んでいます。具体的には富士支社にコンセプトハウス「HH2015」を建設し、そこにエクステリアガーデンゾーン、在宅医療ゾーン、緑育ゾーンなどを設け、それらに関わる新しい技術アイテムをグループ内だけでなく、外部からも持ち込み、実証検討を行っています。この活動がアンテナ機能となり、非常に先端的な技術情報が入るようになりました。新しい住まいに関わる提案に繋がっていくものと期待しています。3つ目の「医療」の領域においては、骨粗鬆症、血液凝固阻止、泌尿器関係の医薬に強みを持つ「旭化成ファーマ」人工腎臓など血液医療などに技術蓄積と特長を持つ「旭化成メディカル」、そして、昨年買収した、救命救急医療領域に特徴的な事業を持つ、米国の「ゾールメディカル」を3本の柱とし、グループとしてそれぞれの強みを活かしながら包括的にヘルスケア領域を強化推進しています。
諏訪なるほど。そうなると、各事業会社にいた研究者も、それぞれの領域に応じた新プロジェクトに集約されたのですね?
中尾そうです。各事業会社から3つのプロジェクトの技術に関連する研究者たちが集まり、連携しながら研究開発を進める体制を作りました。
諏訪それは、バーチャルなチームですか?
中尾個別の組織やセンターを特別に作ったものもありますが、全体的には、事業会社をまたがるバーチャルな組織として運営しています。
諏訪他の企業に本社の研究開発分野についてお伺いすると、「事業をまたいで様々な開発を行っています」とおっしゃることが多く、私ども外部の立場から見ると、内部で何が行われているのか分かりにくいと感じることよくあります。
しかし、御社のホームページでもそうですが、「重点領域」が実に分かりやすい。
社内的にも、これらのプロジェクトを立ち上げたことで、目標がより明確になり、社内連携がよりスムーズに進むようになったのではありませんか?
中尾まさにおっしゃる通りです。我々の持つ総合力を活かすため、これらのプロジェクトは役員クラスがリーダーとしてプロジェクトを推進しています。その結果、グループ全体の関連技術を持株会社に集約したことで、開発の足並みがそろったように感じています。
アライアンスを成功に導くため
目標と期待値の共有化を目指す
諏訪総合力を活かしたプロジェクトの推進は、まさに、冒頭で伺った3つの「取るべき行動」にも通じているのですね。つまり、新しい市場を開拓するため、自らの強みが活きる領域を明確に選ぶことで、世界的に競争が激化する中で独自性を示すことにもつながるという狙いがあるからですか?
中尾まさにその通りです。
諏訪「取るべき行動」の最後に挙げていただいた「1つの狙いでうまくいかなくても、その技術を中心に新たな展開をし、広がりを出す」については、どのような意味を持つのでしょうか?
中尾具体的な例を挙げてご説明したほうが解りやすいかもしれませんね。
諏訪お願いいたします。
中尾まず、新しい試みとして、弊社は、一昨年末にアメリカの研究開発型ベンチャー企業、「クリスタル・アイ・エス社」を買収しました。クリスタル・アイ・エス社は、窒化アルミニウム基板を用いた、紫外線を発光するLEDの開発を行うベンチャー企業です。同社の紫外発光LED技術は、光のエネルギーレベルが非常に高く、水や空気の殺菌といった「環境・エネルギー」領域だけでなく、医療機器の殺菌など、「医療」の領域でも展開できる可能性を大いに秘めています。
諏訪領域を越えた技術の広がりがあるのですね?
中尾そう。獲得した技術自体に広がりがあることに加えて、この技術の獲得によって、これまで個別に点在していた事業群や共通技術が、点から線へ、線から面へと広がる側面を持っているのです。研究開発においては、米国型のやり方と日本流のやり方を融合させながら進めています。来年にはパイロットプラントを立ち上げ、マーケットに展開していく段階まできています。
諏訪基礎技術を一から全て自社で行うのに比べ、米国と共同で研究開発を進めることは、時間の短縮とチャンス獲得につながるんですね。そして、市場のポテンシャルを獲得できたことは、経営計画実現の柔軟性を高める効果も生み出した…。
中尾そうです。研究開発だけでなく、マーケティングのスキルも同時に取り込んでいます。彼らのマーケット戦略は旭化成の進め方とは大きく異なりますが、我々が開拓できなかった海外のトップメーカーに直接働きかけることもできており、大きな成果につながっていいくものと考えています。
諏訪買収効果として、マーケティングのヒントを得る側面も大きいのですね。
中尾ええ。技術だけでなく、マーケティングのセンスや市場のポテンシャル、つまり、ビジネス・チャンスを獲得できたと考えています。
諏訪買収したベンチャー企業は、皆さんの事業戦略と技術の開発戦略の中で優先順位を絞った結果、選ばれたのですか?
中尾ええ。この領域は、「旭化成エレクトロニクス」が事業を担っていて、磁気センサーや赤外線センサーなどの化合物半導体の技術を持っているのですが、我々の技術ポートフォリオをマッピングした際、これらの技術だけでは事業としての限界があると感じていました。我々の得意とする領域外には大きな市場に成長しつつある白色・可視光のLEDがあります。
諏訪しかし、白色・可視光は競争が激しい分野ですね。
中尾そうなんです。白色・可視光はどの企業も研究開発、すでに事業化に着手しているため、競合も多い。そのため、今ある我々の特徴を活かし、この先、別な視点で何かやれないかと検討し紫外光のLEDに狙いを定めました。技術的に非常にハードルが高いことはもちろん分かっていましたが、この分野にチャレンジすることでさらなる技術を確立し、新たな市場を獲得しない限りは、将来の事業展開はないという想いがあり、そこで白羽の矢を立てたのが、窒化アルミニウム単結晶基板と紫外線発光LED技術を持つクリスタル・アイ・エス社だったわけです。
諏訪自前での開発や、外部のベンチャー企業との協業など、あらゆる可能性を比較した結果、最も有望だったわけですね。
中尾そうです。まずは、ベンチャー企業への出資と、共同開発からスタートし、技術力をじっくり見極めた上で獲得に至ったわけです。
諏訪海外の企業が買収を行うケースについて聞くと、日本人が一般的に持つイメージと異なり、技術獲得の案件の場合は特に、いきなり買収するのではなく、まず共同開発や委託開発を通じてパフォーマンスを見極めた上で、買収へと慎重に進むケースが多いようです。まさに、御社も同様で、地道なステップを踏むことで、リスクをコントロールしたわけですね。一見遠回りのようですが、確かに聞けば納得です。
中尾そう、その道のりが大切なのです。
諏訪御社としては、当初から将来的な買収を視野に入れた上での出資と共同開発だったのですか?
中尾ええ。もちろん視野に入れた上で、うまくいけば買収したいと考えておりました。やはり決め手としては、技術的に「環境・エネルギー」はもちろん、「医療」にも使える可能性を持っていたこと、そして、我々の持っていなかった広がりのある技術であることが、こちらのニーズにマッチした点です。
諏訪米国のベンチャー企業とは企業カルチャーが全く異なる中、現時点まで順調に開発が進んでいるようですが、うまくいく秘訣を教えてください。
中尾いろいろな課題はありますが、やはり、米国側の経営を尊重しつつも、こちらから技術者を送り、互いの技術を融合させながら進めている点ですね。それと、本音のコミュニケーションを取ることが、最も重要だと思っています。
諏訪本音のコミュニケーションとは何ですか?
中尾彼らに対する期待感を明確に表すことと、彼らと達成目標をしっかり共有することです。何か問題が起きた時、直接のコミュニケーションを図れることは大切なことですからね。ストレートに伝えると、時には衝突することもありますが、本音で意見交換し、課題をできるだけ早い段階で解決することが最も重要なのです。
諏訪そこは重要なポイントですね。アライアンスが失敗するケースとして、実は、協業先とのコミュニケーション以前に、プロジェクトの目標に関する自社内での合意が取れていなかった、ということがよくあります。中尾さんがおっしゃるように、ダイレクトに本音のコミュニケーションができるというのは、そもそもこのプロジェクトにおいて、御社側の意思決定者がちゃんと関与していて、互いに目標や期待がしっかりと合意できていたからですよね。
中尾もちろん、そうです。
諏訪でも、口で言うのは簡単ですが、実際には、合意に至るまで相当なエネルギーを注がれてこられたのではないかと想像いたしますが…。
私共も、過去7年間にわたり国内で500件ほど、企業の「オープン・イノベーション」のご支援をさせていただいておりますが、プロジェクトの成否と最も相関があったのは、「技術分野」でも「協業の目的」でも無く、「プロジェクトの優先度・重要性」でした。それなりに、しっかりとエネルギーを注げば、社内合意も得られ、困難な問題も乗り越えられたり、御社のように意思疎通が図れたりと、問題も起こりにくいですからね。
中尾まさに、そういうことだと思います。
諏訪クリスタル・アイ・エス社とのお話を伺って、「オープン・イノベーション」やアライアンスは、優先度の高い重要なプロジェクトに絞って選択的に進めるべきであることを再確認させていただきました。こうした例は、ほかにもあるのですか?
中尾ええ。最近のアライアンスだともう一つ、リチウムイオンキャパシタ(LIC)におけるFDK社との合弁会社、「旭化成FDKエナジーデバイス」の例があります。
これも、「環境・エネルギー」領域の将来を担うプロジェクトになるのですが、LICは、コンデンサの大きなタイプで、大電流を急速に充放電でき、その長寿命の特性から、電力アシスト、電力回生等の目的で、車載用途への展開が期待されています。
諏訪自動車では、急速充電や高出力のニーズは高いですからね。
中尾そうです。もともと旭化成は、リチウムイオン電池の発明者である吉野がフェロー研究者であることもあり、リチウムイオン電池に関係する技術に強みを持っておりました。そのリチウムイオン電池の技術の流れからリチウムイオンキャパシタへ展開し、容量と充放電スピードに特長を持つ技術を確立していました。しかし、如何に具体的な事業にするかが課題でした。
諏訪つまり、スピードが課題だったと?
中尾そうです。そこで、FDKさんが、もともと蓄電池の事業を持ち、LICについてもセルからモジュールまでの製品化を開始していた経緯もあり、彼らの事業プラットフォーム上に、我々が技術開発したLICを融合し展開することにしたわけです。
諏訪お伺いしていると、旭化成のコアの強みを活かすという視点と、将来の事業展望を見込んで、メリハリをつけた新事業開拓を積極的に展開されているようですね。自社の強みは当然分かりやすいと思いますが、注力すべき新事業領域をそこまで明確に見通す“目”は、どこにあるのでしょうか。
中尾我々が定めた「環境・エネルギー」「住・くらし」「医療」の3つの領域の中で、将来性があって成長性があり、我々の技術のポテンシャルにより、強い事業が具現化できる可能性があれば、当然、さらに追求してみたいと考えます。
諏訪しかし、皆様の技術の強みが常に、成長性のある領域とマッチするわけではないですよね。
中尾実は、その点が重要なのです。例えば、事業をやるために10の要素があった時、我々が7の要素しか持っていない場合の判断です。
諏訪つまり、足りない要素をどう補うか、の判断ですか?
中尾そう。例えば、3つの足りない要素を1から自前で開発するのではなく、海外でも国内でも相手の場所は問わず、不足する3つの要素を「オープン・イノベーション」によって取り入れていく、というのが我々の考え方です。
これを実現するには、社内だけでなく、ナインシグマさんのような会社にお手伝いいただくことももちろん重要です。そのため、社外的な「オープン・イノベーション」も、国内・国外を問わず積極的に行っていくつもりです。
諏訪ありがとうございます(笑)。自前主義の強い会社では、自社の強い技術を下に事業化を考える場合、残りの3つの足りない要素も全て、自前で開発する傾向にあります。御社のように、全社プロジェクトにおいて「オープン・イノベーション」を活用する場合、現場の賛同はどのように得ているのでしょうか?
中尾そこは、我々の研究サイドが技術をマッピングする際に、「我々は今、ここにいるよね、世界はここに動いているよね」と、常に俯瞰して見て、立ち位置を確認することがポイントです。「我々が勝てるとしたら、この領域やらないとだめないんじゃないか?」「もっと早く動かないとだめなんじゃないか?」という危機感や渇望感を常に共有してきたからこそ、進められるのだと思います。
諏訪なるほど。やはり、目的や時間軸といった「期待値の共有」は、外部の組織との「オープン・イノベーション」を行う上で成功へと導く鍵となりますが、それは社内においても同じなのですね。とても勉強になりました。