NINESIGMA TOP > 研究開発TOPとの対談 > 第5回 東レ株式会社 代表取締役専務取締役 技術センター所長(CTO) 阿部 晃一

東レ株式会社

代表取締役専務取締役 技術センター所長(CTO) 阿部 晃一

5回目のゲストは、東レ株式会社の専務取締役・技術センター所長(CTO)を務める阿部晃一氏。
革新的な技術で新素材の開発を行う同社のR&Dマネジメントについて、また炭素繊維や逆浸透膜の開発ストーリー。
そして、新たな技術を創り出す研究者への期待など、東レの研究・技術開発戦略について、教えていただきました。

諏訪日本経済を取り巻く環境として、2011年、12年と貿易赤字が拡大し、日本の製造業やモノづくりに対する懸念の言葉をよく耳にしますが、阿部さんはどのようにお考えですか?

阿部日本には資源がありませんから、輸入に頼らないといけません。その分、製造業が製品を輸出して外貨を稼ぐというスタイルは、日本を一つの企業と見た経営スキームとして、今後も変わらないと考えています。その点ではやはり、日本は貿易立国であり、製造業立国である。これを支えるのが「科学技術」だと思っています。

諏訪第二次大戦後の成長を支えた日本の経営スキームですね。

阿部そう。なかでも日本の組立産業は、これまで「すり合わせ」で強みを築いてきた部分がありましたが、デジタル化が進み、価格の安い部品を世界中から集めることで、比較的簡単に製品を作れるようになってしまいました。そのため最近では、新興国の追撃を受けてかなり苦戦しています。
東レのような素材産業は、組立産業とはネイチャーが異なりますが、新興国に追いつかれないためには、やはり2歩先、3歩先の新しい材料を開発し、新しい産業を創出していくことが重要になります。

諏訪新しい産業を生み出すポイントは何でしょう。

阿部新しい産業と聞くと、すぐにベンチャーが話題となり、シリコンバレーはうまくいっているという話になります。しかし、シリコンバレーの真似をしてもうまくいかないことは、すでに歴史が物語っています。

諏訪日本でも、国が旗を振っていた頃は一時的に盛り上がりましたが、最近では投資額も減り、今後、自律的に広がっていく見込みは持てませんよね。

阿部ですから、シリコンバレーとは違う、「日本流のフロンティア開拓」を明確な国家観、大きな時代観を踏まえて産業界全体で引っ張っていく必要があると思っています。

次世代の産業を牽引する新素材の開発
「極限追求」「超継続」とは

諏訪では、東レの目指す「日本流のフロンティア開拓」とは何でしょう?

阿部東レでは、「既存産業の中にもフロンティアがある」と考えています。これは私の造語ですが、「内なるフロンティア」を開拓していくと、次の新しい何かが見えてくるという意味です。フロンティアというとボーダーラインから外に出ていくイメージがありますが、「深は新なり」という高浜虚子の言葉にあるように、一つのことを深く掘り下げることで、新しい発明や発見が見えてくる。この考え方こそ、東レが時代を超えて大切にしてきた研究・技術開発のDNAです。

諏訪「深は新なり」という言葉は、東レの研究者の間に広く浸透しているのですね。

阿部ええ。東レでは1962年に基礎研究所を創設したのですが、社外から招聘した初代所長の 星野敏雄博士がこの言葉を使って以来、今でもずっと語り継がれています。

諏訪50年以上も前に唱えられた言葉が、今の時代の研究・技術開発に当てはまるものですか?

阿部特に我々のような基礎化学素材のメーカーにとっては、非常に重要な考え方だと思っています。なぜなら、「深は新なり」とは、言い換えれば「極限追求」です。ナノテクノロジーも、極限追求をして新しい産業が生まれた一つの例ですよね。材料というのは、組み立てた最終製品と比べて、売上高も小さくニッチに見られがちです。しかし、産業の歴史を振り返ると、その時代においては産業の中心ではなかったかもしれませんが、「次の時代の産業を担う存在」であったことは間違いありません。

諏訪確かに、歴史的に見ても、新しい材料の発見がある度に、産業は大きな進化を遂げていますよね。

阿部そう。歴史的に見ても、半導体が発明されトランジスタやLSI(集積回路)ができたからこそ、電子情報産業やIT産業が生まれました。合成ポリマーが発明され、合成繊維産業やプラスチック産業が生まれました。
ですから、時間はかかりますが「次の時代を牽引する材料を創る」ことこそが、材料メーカーである東レの使命だと思っています。

諏訪次世代の産業が誕生するそばには、常に新素材がある…。

阿部そう。そのひとつの例が、炭素繊維です。1961年に大阪工業試験所の進藤博士がPAN系カーボンファイバーの研究成果を発表された直後から、東レでは本格的な研究を開始しました。
当然、我々も問題意識を持って独自に研究していましたから、カーボンファイバーの研究成果に関する大阪工業試験所の発表を受け、「この方法が有望である」と技術の本質を見抜き、大阪工業試験所の特許実施許諾を取得したわけですが、これこそまさに、今でいう「オープン・イノベーション」の先駆けです。しかし、世界で初めての商業生産開始は、本格的な研究開始から10年後の1971年であり、その間当然リターンはありませんでした。商業生産開始後もしばらくは苦戦を強いられましたが、90年には、ボーイング社の777(トリプルセブン)で初めて、飛行機が空を飛ぶための力を受け持つ一次構造材、この場合は尾翼や主翼の一部などでしたが、カーボンファイバーが採用されたのです。

諏訪一次構造材に採用されたということは、欠陥が少なくなって信頼性が増した、ということですか?

阿部そう。カーボンファイバー開発の歴史は、まさに異物や空隙などの欠陥との戦いでもありました。商業生産を開始した当初はミクロサイズの欠陥があり、強度も不十分でしたから。この課題解決のために、有機合成化学、高分子化学、ナノテクノロジー、界面化学などに基づいた基礎研究を地道に継続したからこそ、現在の高強度かつ高信頼性で、また使いやすいカーボンファイバーの開発に繋がったわけです。

諏訪開発当初と比較すると、現在では強度が大幅に向上していますよね。

阿部ええ。今ではナノサイズの欠陥すらもなくし、強度を3倍にまで向上させ、航空機の一次構造材として安心して使える、高性能な炭素繊維へと進化させました。

諏訪そのような進化があったからこそ、新しい航空機産業が生まれようとしているのですね。

阿部その通りです。そして、2011年に初就航した最新鋭機、ボーイング787型機では、エンジンなどの改良もありましたが、構造材料の約半分が炭素繊維複合材料になったことで軽量化が進み、ANAの実績ベースで約2割の燃費低減を実現させました。他にも、カーボンファイバーを使った材料が採用されたことで、金属疲労が無いので機内の気圧を上げられたり(上昇時に耳がキーンとなるのが防げる)、さびに強い機体となったことから快適な湿度を維持することもできたのです。

諏訪私も実際に787型機に乗りましたが、非常に快適でした。カーボンファイバーが飛行機にもたらした功績はとても大きなものですね。

阿部まさにこれが「深は新なり」という、東レが目指す「極限追求」の好例です。

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